赤の女王の走りかた

by Yusuke Asakura

“Now, here, you see, it takes all the running you can do, to keep in the same place.
If you want to get somewhere else, you must run at least twice as fast as that!”

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スタートアップの「資金調達」を考える

News Picksに2015年6月9日に掲載された記事を、NewsPicks編集部の許可を得て掲載します。


今回は、非公開企業の資金調達について考えてみたいと思います。

ここ数年の間、日本国内のスタートアップを取り巻く環境は大きく様変わりしました。その中でも特に変わったのが、資金調達の環境です。

現政権は「産業の新陳代謝とベンチャーの加速」を成長戦略の柱に据えていますが、最近では官民ファンドが直接スタートアップへの投資を行ったり、ベンチャーキャピタル(VC)に資金を供給したりするケースが増えてきました。

また、民間においてもさまざまな業種の大企業が、スタートアップやVCに投資するほか、独自のコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)を設立するといった活動を行っています。

思い返すと、私がネイキッドテクノロジーにいた2010年当時、IT関連で1億円以上の資金調達をしたスタートアップはそんなに多くなかったと思います。

それが今では、1億円を超える規模の資金調達のニュースが週替わりのようにテック系メディアをにぎわせています。レイターステージともなると、30億、40億といった単位での資金調達が当たり前のように行われています。

世代的にビットバレーが華やかなりし頃の業界事情は存じ上げませんが、たかだか5年前と比べても調達環境は格段に良くなったと言えるでしょう。

さて、株式の第三者割当による資金調達を行う場合、前提としてその時点の企業の価値を評価する必要があります。上場企業の場合は市場の株価がベースになるので話はシンプルです。

また、一定した水準の収益を上げている企業であれば、ディスカウントキャッシュフロー(DCF)法や類似企業比較法などを用いながら、確からしい評価額を算定できます。

それに対してスタートアップの場合、早期のものはまだ利益も出ていない会社がほとんどです。DCF法に基づいて現在価値を弾き出そうにも、安定した収益のある企業のように確度の高い将来予測を弾き出すことはできません。

また現時点の業績の延長線上にないような非連続な成長を目指すのがスタ

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アンラーニング

I wish to stay forever, letting this be my food

But I’m caught up in a whirlwind

And my ever changing moods

「戦略とは捨てることである」と、誰かが言っていた気がするけれど、周囲の環境が移り変わっていく以上、未来にわたって生存するために、過去の成功体験や既存の事業、存立基盤を随時見直して、段階的に捨て去っていく必要があるのは、至極当然のことだろう。

個人に置き換えて考えてみると、何かを新たに習得すること、ラーニングと同等に、体に染み付いた経験則を環境に合わせて捨て去ること、アンラーニングすることもまた、自分自身のOSをアップグレードし続けるために必要なことなのだろう。

さて、我が身を振り返って、最初の職場での学びからアンラーニングしたことをざっと思い返してみると、こんなところだろうか。

  1. 緻密な資料をつくること
    顧客に対してスキのないロジックとファクトで固めた高いクオリティの資料を提出することが求められる客商売であれば必須の条件だけれども、内輪であれば、その場で板書して口頭で説明する方がよほど手っ取り早い。
    そもそも手間暇をかけて緻密な資料を作っても、世の中の大半の人はそんな事細かい内容を読んでもくれない。
  2. ポジションを取ること
    限られたメンバーの中で、短期間で仮説検証を繰り返しながら解を出そうという基本姿勢について合意形成ができていれば機能するけれど、信頼関係のない人を相手にやっても、ただの極論野郎、炎上マーケティング扱いされるだけ。
  3. 誰が言ったかではなく、何を言ったかで判断すること
    何を言ったかで判断するということは、予め人がフィルタリングされており、なおかつ共通の目的に対して私心なく取り組める集団の中でこそ成立する。
    無菌室から飛び出すと、話す内容は人によって相当クオリティがばらける。何より、それぞれがそれぞれの利害関係を持って発言している。
    言った内容で判断すること自体は間違っていないのだけれど、そこに至るまでの間に自分なりのフィルタリングが必

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一倉定とオンデマンド・エコノミー

電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である。

昭和の時代、主に中小企業の経営者の指導にあたった経営コンサルタントに、一倉定という人がいる。経営に関する身も蓋もない刺激的な箴言の数々を遺しており、僕は非常に気に入っているのだけれども、その中に「好業績の原理」というものがある。少々長くなるが、引用してみよう。

お客様の要求というものは、相手の都合に合わせるのではなくて、自分の都合に合わせてなされるのである。たくさんのお客様の、それぞれ勝手な要求が会社に殺到する。会社の都合と合う筈がない。お客様の要求と食い違うわが社の都合を、お客様の都合に合わせなければならないのだ。当然のこととして、そこには混乱が発生するのだ。

わが社の都合を第一にしてお客様に不便をおかけして低業績を我慢するか、お客様の要求を第一に考えて内部は混乱しても優れた業績をあげるか。これを決めるのは社長である。社長の決定によって反映する会社とボロ会社とに分かれるのである。

好業績経営を実現する根本原理はただ一つしかない。それは、「わが社の事情は一切無視し、お客様の要求を満たす」ことである。

当世であれば、「ブラック企業指導者」の烙印を押されること、間違いないだろう。

ところで近年、西海岸を中心に「シェアリング・エコノミー」や「オンデマンド・エコノミー」といったキーワードが、世の中を席巻している。 個々の用途や切り口は、タクシーの代替であったり、食事の宅配であったりと、サービスによって異なり、消費者にとっては非常に利便性の高いサービスなのだけれども、これを労働者側の視点から見ると、細切れの労働機会を獲得する手段という共通の価値に収斂される。どんなサービスであれ、働く側から見れば、定型化されて誰にでも取り扱えるようにパッケージ化された労働の機会だ。転職までのギャップ期間や、日々の生活の中のちょっとしたすき間を活用し、労働力の提供者は自分の可処分時間を切り売りしているわけだ。パートタイムや日雇いの仕事よりもフレキシブルに、細分化された労働機会を得られるわけで、これもまた利便性が高い。

事業者側から

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問い

私に支点を与えよ。そうすれば地球を動かしてみせよう。

限られた乏しい経験を通じて痛感していることの一つが、「解くべき問いを間違えてはいけない」ということ。試行錯誤を繰り返したとしても、問いが正しければ解にたどり着くことはできる。

これが数学の試験問題であれば、予め定められた時間の中で解を導かなければならない。けれどもビジネスであれば、キャッシュが続く限りは異なる解法を試し続けることができる。コストを削り、資金を調達することで、命のロウソクが燃え尽きるまでの時間を引き延ばすことだってできる。問いさえ間違っていなければ、見込みはあるのだ。

ところが、そもそもの問い自体が間違えていれば、その過程の努力が報われることはまずもってないだろう。どれだけ賢い人たちが、どれだけ熱意を持って、どれだけ懸命に取り組んだとしても、ダメなものはダメ。これはもう、重力に逆らうのに等しい行為なのだ。

問題は、目の前の問いが、解くに値する問いなのかどうかということだ。判断が分かれる点ではあるけれども、少なからぬケースで当事者は、その問いを解くべきかどうか、既に知っているのではないだろうか。それなりに真剣に自分の行為に向き合っている人間であれば、気づいているものではないだろうか。

それでは何故、人は間違った問いに向かってしまうのか。得てしてその理由は、サンクコストを「サンクコストだ」と宣言する勇気がなかったり、自分自身の執着心や意地に流されてしまったり、周囲の人達を制止して嫌われたくなかったりする、気持ちの弱さにあるのではないだろうか。着手してしまったものに、終止符を打つのが面倒なだけなのではないだろうか。

そうやって、決して解けることがないと分かっている問いを、惰性でダラダラと解き続けてしまうのだろう。誤った問いに取り組むポーズに逃げ込んでしまうのだろう。

僕はこれを、誠実さに欠けた態度だと思う。

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マイナス・トゥ・ゼロ

帝王之業,草創與守文,孰難?

一括りに「経営者」と言ってみても、業態や会社の規模感、ステージによって、実際に取り組んでいる課題や業務の内容は大きく異なる。この点、我流の解釈ではあるのだけれど、僕は「経営者」という職業を、ステージによって異なる呼称に分類している。

まず、全く何もない所から事業を起ち上げる人。いわば0→1の仕事(みんな大好きピーター・ティール!)なのだけど、こういう経営者のことを「起業家」と呼んでいる。

次に、1に育った事業を10の規模感まで育て上げる人、転がり始めた事業を一人前の事業まで育て上げる人のことを「事業家」と呼んでいる。

最後に、事業が10まで育った会社のステージを100まで持っていく人。これを狭義の意味での「経営者」と呼んでいる。ここで、「10を100にする」の意は、単一の事業の規模感を10から100にするということではなく、10まで育っている事業を×10個並行して回すことを想定している。ステージの進展と共に、徐々にフォーカスが事業から組織に移るイメージだ。

ここまで書いて、そういえばマイナスの状態を0まで持ってくるってのもあったなぁと思い出したのだけれど、こういうのは「ターンアラウンドマネジャー」やら「再建屋」と呼べばいいんだろうか。なんかもうちょっとセンスの良い言い回しがないもんかね。

言うまでもなく、どのステージの経営者がより優れている云々といった、優劣の問題ではない。

全くもって我流の解釈だし、感覚的な分類で、特に厳密な定義もファクトもない(そんなもの僕に期待しないでおくれ~)のだけれど、僅かばかりの自分の経験とお会いする方々のお話を総合して考えるに、この3段階(プラス1段階)のステージによって経営者に求められるスキルセットやマインドセットの違いは相当大きいように感じる。

初っ端から先発登板するのと、途中から救援リリーフするのでは、全く異なるアートなのだ。片や事業を起ち上げることに四苦八苦するし、片やチームや文化を自分で作れない苦労があったりと、どちらにもそれぞれ大変な面はある。基礎体力が重要という点は共通していても、やって

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志低く

I saw the Sex Pistols. They were terrible. I thought they were great. I wanted to get up and be terrible with them.

ベイエリアをふらついていて感じることは、やたらとスタートアップの数が多いということ。もちろん、そういう連中が集まる所にいるのだから、そりゃ出会う機会だって多かろうよということなのだけれど、SOMAやUniversity Avenueあたりのカフェはもとより、Palo Altoの外れの客が数人しかいないような薄汚いカフェで本を読んでいても、「こんなプロダクト作ろうと思ってるんだ」だとか、「こないだ調達したんだよね」なんて会話が耳に飛び込んでくる。六本木や道玄坂あたりのカフェにいたって、転職エージェントやマルチ商法の売り込みに出くわすことはあっても、こんな頻度でスタートアップの会話に出会うことはない。ちょっと異常。

次々とイノベーションが生み出されるシリコンバレーの環境をなんとか日本に持ち込むことができないのか、という問いはどうやら古くて新しい命題のようで、先日出席させていただいたStanfordのシンポジウムの中でも話題に上っていた。

シリコンバレーがシリコンバレーとして上手く機能する所以としては、いわゆる「エコシステム」を取り巻く様々な構成要素が取りざたされる。移民やその二世世代、世界中からの留学生をはじめとした多様な人材によるタレントプールが充実していること、リスクマネーを供給するベンチャーキャピタリストが数多いるということ、種類株をはじめとした様々な投資スキームや事業開発に関するノウハウが蓄積されていること、弁護士やイグジット経験のあるメンターからの手厚いサポートが期待できること、エンジニアを中心とした優秀な人材リソースが極めて高い流動性で新興企業の事業を実現していること、などなど。どの要素も極めて重要な役割を果たしているのだろう。

同じようによく挙げられるのが、「隣のあいつでも出来るんだったら俺にだってできるだろ」といったような

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ショーは続けなければならない

The show must go on

Inside my heart is breaking

My make-up may be flaking

But my smile still stays on.

クドクドと、組織のミッションと事業のミッションは違うやら、組織のミッションはふわっとしたものがいいやらと、好き勝手申し上げてきたけれど、正直かなり後付けの議論だとは思う。

事業を立ち上げたばかりの起業家は目の前の事業に集中し、成功するのに必死だ。「上場後、事業に密結合したミッションが齎す弊害が云々」なんて聞かされても全くもってリアリティーがない。「ミッションがどうたら」なんて七面倒くさい事言われたって、「うっせーバーカ!」と一蹴されるのが関の山だろう。そりゃそうだよな。

けれどもひとたび走り始めたら、ショーは続けなければならない。既に固定化したミッションが掲げられている組織の場合、どのように既存のミッションを取り扱うべきなのだろうか?特に既存のミッションが強烈な存在感を発揮している場合、事はややこしくなってくる。カリスマ性や強烈なビジョンは両刃の剣だ。上手く回っている時はいいが、停滞感が漂い始めると、そうした価値観自体が存続の上での障壁になりかねない。

この点、僕なりに考える妥当な案は、既にあるミッションの意味合いを微妙にずらしていくことだ。元々あるフレーズや表現は活用したまま、徐々にその内容を拡大解釈して、新たな事業領域にも転用可能なものに意味合いを書き換えていく。

本来的にはドラスティックに文言自体を変えてしまい、賞味期限が切れた事業の風味は消し去った上で、既述したような要件を満たす文言を掲げることができればそれに越したことはない。けれども、それではあまりにも取ってつけた感が出てしまう。腹落ち感がない。会社が丸ごと買収されてしまうような大掛かりなイベントでも演出しない限り、実現可能性が極端に低い。

次善の策とはいえ、組織を回していく上では解釈論で納まりをつけるしかないのだろう。

関連して、こうしたミッションの解釈論や、全体的な方向感を定着させる上で

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表徴の国のアリス

いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である。

永続を志向する会社のミッションを事業に紐付けず、なるべく解釈のあそびを持てるような曖昧な内容にしたとする。果たしてそんな文言が求心力を持ちうるのだろうか?「存在理由」とまで言い切っているのに、それが今一つ釈然としないあやふやなものであったとするならば、そんな文言にそもそも意味はあるのだろうか?

この点、僕はミッションの本質はコンテンツそのものにはなく、それを伝える過程、デリバリーの中にこそあると思う。

既述のとおり、ミッションというのは組織を前進させるためのものであって、要は組織が燃え立つのであれば何だっていい。効果的なミッションの立て方やちょっとしたコツは存在するのだろうけれども、杓子定規の正しい方法論なんていうものはない。

ワークするのであれば、神格化した創業者のトップダウンでもいいし、逆にあたかも民主主義的な手続きに則って決めたかのような雰囲気を演出してもいいだろう(とんでもなく大変そうだけど)。

コンテンツ自体に意味はないのだから、多少表現にぶれがあっても構わないのだ。

権威付けも何だっていい。「偉大な創始者がこうした訓えを残した」でもいいし、「過去の艱難辛苦をカクカクシカジカの理念で乗り越えた」でも、「みんなの考えをみんなが参加して言葉にした」でも構わない。一定の納得感が醸成されさえすれば、それでいいのだ。

勘所としては、なるべく大衆受けしやすい内容がいい。どこぞのビジネス誌が背景の薀蓄と絡めて「この理念こそが組織の飛躍の根源!」などとコラムに載せて、それを出張帰りの新幹線の中でビール片手に読んだおじ様が「左様であるか」とほくそ笑んだならば大成功。

それよりも重要なのは、むしろその内容の届け方である。どうやって集団に染み込ませるか。どうやって組織の染色体に刻み込むか。それこそが問題だ。

端的には、ある種の同調圧力をどうやって形成するかがポイントになる。

内容はどんなものであれ、自分を取り巻く周りの人たちがそれを重要なものであると認識して大切そうに扱っており、なんとなく自分も周囲の

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あいまいなカイシャの私

「思想を維持する精神は、狂気でなければならない」

仮に永続性を前提にした組織を志向する場合、掲げるミッションの勘所とはどのようなものだろうか。

この点、僕は如何ようにでも拡大解釈し得る、しなやかさを持った文言が良いと思っている。

多くの事業には賞味期限がある。賞味期限の長短こそ特性によって異なるものの、そのタイミングが遅かれ早かれ、経年劣化が想定される。一方で、そうした事業を運営する組織そのものには永続性を持たせなければならない。だとすると、ここに矛盾が生じる。

この矛盾を乗り越えるためには、既存の主力事業を乗り越えて、常に自身の活動の幅を再定義し直す思想を予め組織に埋め込んでおくべきなのだと思う。端的に言うと、極力、今目の前にある事業と直接的に密結合し過ぎないアイデアを充てるべきなのだ。

時代の風雪に耐え、手垢がつくことなく、なるべくファジーで広い意味を持たせ得る普遍的な言葉が望ましい。

ここで事業単位のミッションと組織のミッションは独立に存在し得るということに注意されたい。法人格とは別に、事業そのものにも架空の人格を想定するのであれば、事業単位で目指す世界観というのはあくまでその事業に立脚したものであるべきだ。

事業はプロジェクトであっていい。具体的な理想を追いかけて、その使命を全うすれば喜んで解散すればいい。(尤もこれは、組織に対しても言えることだけれども)

事業のミッションを組織のミッションと混同してしまうと、事業の重力に組織が巻き込まれてしまう。事業の方がより手触り感があって具体性がある。想像しやすいし、わかりやすい。だからこそ求心力を持ちすぎてしまう。両社は似て非なるものである。混ぜるな危険!

組織の永続を目指す以上は、事業と同時に、なるべく組織に求心力を持たせなければならない。そうしなければ、事業への強烈な愛着が芽生える一方で、組織に対するロイヤリティーが欠如した集団が生まれてしまう。ひとたび事業が不調を来すと、この結束は相当に脆い。

組織へのロイヤリティーを醸成する上では、ありとあらゆる手段がある。その中でも、組織として掲げるミッションと

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平成27年のパウロ達へ

君に存在価値はあるか

そしてその根拠とは何だ

ミッションって何だろう。

組織を取り巻く価値観については様々な呼称がある。ミッション、ビジョン、バリューといった横文字もあれば、社訓や社是、経営理念といったものもある。アカデミックには、これらについて詳細な分類や定義が存在するのかも知れない。浅学にしてそうした整理には不案内である。

ジャック・ウェルチなどは、ミッションについて、「私たちがこのビジネスでどうやって勝とうとしているのか」に答えるものだとしている。きっとそうした要素もあるのだろう。

けれど、あくまでビジネス上の勝敗に閉じてミッションの存在を定義している時点で、これは相当限定的な解釈であると思う。

組織とはビジネスに限ったものでもないし、また必ずしも「勝敗」に閉じたものとも思わない。もう少しその手前、そもそもなぜ人々がそのビジネスで勝とうとしているのか、その事業に取り組んでいるのかについて答えるべきものであるように思える。

この点、全くの素人解釈ではあるのだけれど、敢えて「ミッション」という言葉に、一定の意味を与えるとすれば、それは組織が何をするために存在しているのか、何のために人々がその組織に集まっているかを指し示す一式のフレーズであると捉えることができるのではないだろうか。存在理由と呼び換えてもいい。

翻って日本で登記されている企業の内、こうしたミッションや社訓を掲げているものはどれ程あるのだろうか。想像するに、恐らく9割9分の会社はこの手の文言を明示的には掲げていないのだろう。パパママショップを始め、世間のほとんどの会社にはこんなものは関係ない。無用の長物である。多くの場合、事業とは口に糊するための手段であり、稼業であって、わざわざ七面倒くさい御託を後生大事に並べる必要もないのである。

創業メンバーやマネジメントと組織の構成員の距離感が近く、各々が直接的に顔を突き合わせていられるうちはそれで良い。創業者の一つ一つの言動や所作、エピソードの数々が轍となり、組織を方向付ける羅針盤となる。「創業者かく語りき」という神話が綴られ、語り継がれ、自生的に文化が

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