志低く

I saw the Sex Pistols. They were terrible. I thought they were great. I wanted to get up and be terrible with them.

ベイエリアをふらついていて感じることは、やたらとスタートアップの数が多いということ。もちろん、そういう連中が集まる所にいるのだから、そりゃ出会う機会だって多かろうよということなのだけれど、SOMAやUniversity Avenueあたりのカフェはもとより、Palo Altoの外れの客が数人しかいないような薄汚いカフェで本を読んでいても、「こんなプロダクト作ろうと思ってるんだ」だとか、「こないだ調達したんだよね」なんて会話が耳に飛び込んでくる。六本木や道玄坂あたりのカフェにいたって、転職エージェントやマルチ商法の売り込みに出くわすことはあっても、こんな頻度でスタートアップの会話に出会うことはない。ちょっと異常。

次々とイノベーションが生み出されるシリコンバレーの環境をなんとか日本に持ち込むことができないのか、という問いはどうやら古くて新しい命題のようで、先日出席させていただいたStanfordのシンポジウムの中でも話題に上っていた。

シリコンバレーがシリコンバレーとして上手く機能する所以としては、いわゆる「エコシステム」を取り巻く様々な構成要素が取りざたされる。移民やその二世世代、世界中からの留学生をはじめとした多様な人材によるタレントプールが充実していること、リスクマネーを供給するベンチャーキャピタリストが数多いるということ、種類株をはじめとした様々な投資スキームや事業開発に関するノウハウが蓄積されていること、弁護士やイグジット経験のあるメンターからの手厚いサポートが期待できること、エンジニアを中心とした優秀な人材リソースが極めて高い流動性で新興企業の事業を実現していること、などなど。どの要素も極めて重要な役割を果たしているのだろう。

同じようによく挙げられるのが、「隣のあいつでも出来るんだったら俺にだってできるだろ」といったような空気感。要は同調現象なのだけど、これも肌感覚としては分かる気がする。ある意味では周囲に流されているってことなんやろね。もちろん、シリコンバレーの磁場に吸い寄せられて元から事業意欲に溢れた人達が集まっているということもあるのだけれど、それにしたって朱に交われば赤くなる。周囲から受ける刺激との相乗効果でそうした志向性が先鋭化されていくのだろう。

キャリアの志向性として正反対ではあるのだけれど、東大法学部生の多くが司法か官界を目指すのも恐らくは似たような力学が働いているのだろう。もちろん、当初からパブリックセクターを志して文1を目指していたという学生もいる一方で、単に文系で最も世間体の良いところを目指して来てみたら、周囲が官界、司法志望だったからなんとなく自分も目指してみたという人も相当数いるはずだ。その内、コミュニティー内では「ミンカン」の会社を志向することが奇異に捉えられたりするようになる。ある種の同調圧力。

これまた同様によく聞くのが、アントレプレナーや経営者に対するリスペクトがあるということ。妙な妬みはないし、成功した起業家や経営者は素直に賞賛されるカルチャーがあるということだ。これも言われてみればそんな気もする。

きちんと成功者を讃えるカルチャーがあればこそ、次世代のアントレプレナーが再生産される正のサイクルが機能する。

一方で日本のステレオタイプな経営者のイメージって、記者会見で頭を下げている人だったり、私腹を肥やす越後屋的な小悪党だったりするんじゃなかろうか。ちょっと残念だ。

何はともあれ、「如何にしてシリコンバレーを日本に再現するか」は頻りに問われるのだけれど、仮にそれが実現できたとして、日本で暮らす人々にとって日本がシリコンバレー化することが本当に幸せなことなのかと考えてみると、あんまりそうでもないんじゃないかな~という気がしてしまう。

モノゴトにはトレードオフが付いて回るもので、シリコンバレー的なイノベーションの創出エンジンを機能させるには捨てなければいけないもの、変えなければいけないものが多すぎる。恐らく大多数の日本人は、日本の労働慣行や社会構造の変化を望みはせんのじゃなかろうか。

雇用の流動性一つをとっても、新卒社員が同じ会社に3年以上在籍しないことが問題視される社会とシリコンバレーの間には大きな隔たりがある。ましてやレイオフが横行する労働環境だなんて日本人には受け容れようがないだろう。当地で「日本には整理解雇の4要件ってものがあってだな」と説明し、実質的にレイオフや解雇ってのはないんだよと話すと、「それでどうやって経営すんだよ?」と一様に驚嘆される。結構な温度差だ。

そもそも未曾有の人口減を前にして、未だに移民の是非を論じている人達が、シリコンバレー的なダイバーシティーを受け容れられるとは考えづらい。それが日本人の総意であるというなら、それはそれでいいし、何も日本が無理してシリコンバレー型のイノベーション拠点を目指す必要なんてないよなぁ、なんてことを思ったりもする。

とまれ、価値判断は脇に置き、仮に日本からより多くのイノベーション(イノベーションって何だよって話もあるんだけどさ)の創出を目指すとする。そのために何が必要かを素人なりに考えてみると、単純ではあるけれども、何より挑戦する絶対数を増やすことなんだろう。その上で、キーとなるのは志低い起業を促進することなのじゃないかという気が最近している。

シリコンバレーのシード・アーリー段階のスタートアップで、真顔で「IPOを目指します!」という人達は恐らく1割もいないというのが、こちらで話を聞く限りでの印象だ。多くは他社からの買収をイグジット手段として企図している。

一方、日本で事業を始めるとなると、ともすれば全員が全員、ソニーやホンダを目指さねばならないかのような強迫観念があるように感じることもあるし、未だに大手の新聞や経済誌が事業売却のことを平気で「身売り」と表現したりする。

もちろん志を高く持って、21世紀を代表する日本企業を創っていこうとすることは素晴らしいことだと思うし、そうしたストーリーを耳にすれば胸も高鳴る。高い志を持つ起業家の中から、新時代の松下幸之助や本田宗一郎が現れればいいと心底思う。けれども「志高い」起業論は既に十分語られている。

真にイノベーションの創出を目指し、N数を増加させたいのであれば、起業を天才と狂人の専売特許にしていては間に合わないし、せめて秀才くらいの人達にも裾野を広げてみたい。何もみんながみんな、時価総額1兆円のメガベンチャーを目指す必要はないし、もう少し自信と誇りを持って会社を売り買いできるようになればいい。

そうやって何回か経験を積んだ人の中からそのうち大ホームランを打つ人も出てくるのだろう。いきなりホームランを打つ必要はない。まずはシングルヒットでもデッドボール狙いでも何でもいいのだから、とにかく塁に出ることを目指すべきだ。そのために必要なことが、志低く、挑戦のバーを下げることなんじゃなかろうか。IPO or Dieしか予期できないのであれば、そりゃまともなリスク感覚の持ち主はいつまで経っても挑戦しやしないだろう。せめて外資系投資銀行に就職・転職するくらいのリスク感覚で創業を促すことができれば、かなり成功事例も増えてくるのではないかと思うのだけど、どうなんやろね。

昨日Napaで買ってきたお安いワインをがぶ飲みしながら、週末にそんなこと考えております。

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