一倉定とオンデマンド・エコノミー

電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である。

昭和の時代、主に中小企業の経営者の指導にあたった経営コンサルタントに、一倉定という人がいる。経営に関する身も蓋もない刺激的な箴言の数々を遺しており、僕は非常に気に入っているのだけれども、その中に「好業績の原理」というものがある。少々長くなるが、引用してみよう。

お客様の要求というものは、相手の都合に合わせるのではなくて、自分の都合に合わせてなされるのである。たくさんのお客様の、それぞれ勝手な要求が会社に殺到する。会社の都合と合う筈がない。お客様の要求と食い違うわが社の都合を、お客様の都合に合わせなければならないのだ。当然のこととして、そこには混乱が発生するのだ。

わが社の都合を第一にしてお客様に不便をおかけして低業績を我慢するか、お客様の要求を第一に考えて内部は混乱しても優れた業績をあげるか。これを決めるのは社長である。社長の決定によって反映する会社とボロ会社とに分かれるのである。

好業績経営を実現する根本原理はただ一つしかない。それは、「わが社の事情は一切無視し、お客様の要求を満たす」ことである。

当世であれば、「ブラック企業指導者」の烙印を押されること、間違いないだろう。

ところで近年、西海岸を中心に「シェアリング・エコノミー」や「オンデマンド・エコノミー」といったキーワードが、世の中を席巻している。 個々の用途や切り口は、タクシーの代替であったり、食事の宅配であったりと、サービスによって異なり、消費者にとっては非常に利便性の高いサービスなのだけれども、これを労働者側の視点から見ると、細切れの労働機会を獲得する手段という共通の価値に収斂される。どんなサービスであれ、働く側から見れば、定型化されて誰にでも取り扱えるようにパッケージ化された労働の機会だ。転職までのギャップ期間や、日々の生活の中のちょっとしたすき間を活用し、労働力の提供者は自分の可処分時間を切り売りしているわけだ。パートタイムや日雇いの仕事よりもフレキシブルに、細分化された労働機会を得られるわけで、これもまた利便性が高い。

事業者側から見ると、事業を展開するにあたっての「原料」は市井の一般消費者の労働力であり、調達面において一般消費者の可処分時間を奪い合うという点では、ゲーム会社とだって競合していると見ることもできる。

そうなってくると、もともとそうした仕事を本職として関わっていた人たちは労働機会を奪われ、代替されていくことになる。雇用の維持や社会保障といったコストを労働者側に転嫁しているのだから、新たな事業者の方が圧倒的にコスト効率は良い。

こうした流れをどう評価するかは判断が分かれるところではある。規制で抑制することもできるだろう。ただポイントは、実際にそのような労働形態が社会に埋め込まれていくか否かということよりも、技術的な環境としては、そういうことができるようになってしまったということなのだと思う。パッケージ化できる労働力しか提供できない人は、代替され“得る”ということだ。

先行して「クラウドソーシング」もそれなりに市民権を得つつある概念だけれども、大きな潮流として起こっていることは、労働力がどんどん流動化している、されている、ということなのだろう。

ここに、ともすれば「持つ者」と「持たざる者」の逆転の芽を見出すことができる。固定費化した労働力を抱える既存プレイヤーよりも、場当たり的に、プロジェクト的に経済活動に参加する「持たざる者」の方が、よりしなやかに生存できる可能性が出てくるのだ。

そうなると、既にリソースを抱えてしまっている既存プレイヤーが、それでもなお、価値を出しうる余地というのは、一体どこにあるのだろうか。 プロジェクトに応じて合目的的にリソースを調達できる「持たざる者」に対して、抱えるリソースを活用しなければならない「持つ者」が対抗し得る価値の源泉は、一体どこにあるのだろうか。

この点僕は、プロジェクトマネジメントであり、個々の機能のすり合わせであり、オーガナイザーとしての役割を担う点にこそ、「持つ者」が訴求し得る価値があるのではないかと思う。言い換えれば、面倒なコミュニケーションコストを吸収する御用聞き機能であり、煩わしさからの解放であり、顧客のストレスを顧客に代わって吸収する役割だ。

ひょっとすると一倉定が言うような、混乱を引き受けること、ストレスを負うことが、これからますます既存企業の果たすべき役目になっていくのではないかと思うのだ。

 
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