ベイエリアの沙羅双樹

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

なぜ、人は組織に永続性を求めてしまうのか。なぜ、人は目的を実現するための手段として以上の意味を、組織に見出してしまうのか。

僕はそのことに興味がある。

ベイエリアの新興企業(「スタートアップ」と呼ぶのが当世風だけど、「ベンチャー企業」と呼んでもいい)やキャピタリスト、学者と話をしていると、彼らが会社をビークルやある種のプロジェクトであると割り切って考えていることに気づく。随分とさっぱりしている。

先日も、1年ほど前に事業を立ち上げたところだと言うアド系スタートアップの創業者と話していたところ、突然「次はメッセージングアプリの周辺領域で事業を始めたいんだよな」だなんてことを言い出し、思わずラテを吹き出しそうになった。なんでも、買収意欲を示している数社からコンタクトがあるらしく、今年の前半には早々にイグジットしようと考えていると言うのだ。事業も順調に成長しているようだが、会社に対する執着は一切ないようだ。それだけ機会が多いということだろうし、時間の進み方も早い。

彼らは好機があれば躊躇なく会社を売る。そもそも買収を前提に逆算して事業を組み立て、資金を調達する。

じゃあファウンダー以外のスタッフはどうかと言うと、彼らも予め会社がバイアウトされることを予期して働いているし、会社が売却される前にはSOも行使でき、概ねハッピーらしい(アメリカでのストックオプションの税制適格の要件がどうなっているのかについては、よく分からない)。

もちろんN数は限定的だし、サンプルは偏っている。同じアメリカでも、デトロイトくんだりの自動車メーカーの従業員あたりに聞いてみたら、恐らく違った答えが返ってくることだろう。

だが、ことベイエリアのスタートアップ界隈に関して言えば、会社の永続性は重要視されていない。ファウンダーが徒にIPOを目指すことはないし、起ち上げ段階からバイアウトを通じたイグジットを狙うことを広言して憚らない。元も子もない言い方をすると、「IPOだなんて、そんなホームラン狙い、現実的じゃないでしょ?」ということなのだそうだ。

ややもすると随分と志の低い考えにも聞こえるし、「ただのマネーゲームじゃねーか」と捉える向きもあろう。

いっとき、「長くつづく会社が多い国は、いい国だと思う」というコピーのCMが流れるのをしきりに目にすることがあった。「永続的に反映し続ける会社」のイメージは、21世紀の今も日本人の琴線に触れるらしい。多くの日本人にとって、創業1400年以上の建設会社が存在することは世界に誇るべきお国自慢の一つなのかも知れない。

何も旧財閥系企業や重厚長大産業に限った話ではない。スタートアップであっても、「20XX年に時価総額XX兆円の日本を代表する企業をつくります」と息巻くハタチやそこらの学生さんにお会いすることがままある。

それは素晴らしいことだし、是非挑戦していただきたい。個人的にも凡庸なストーリーより荒唐無稽な大言壮語を好む。

一方で、会社や組織の同一性に対する強烈な執着には、時に息苦しさも感じるのだ。

会社や事業の売却を「身売り」と呼んでしまう、一種のネガティブなトーン。人前で話す際にはお約束のように「5年後にIPOを果たし、世界に羽ばたく日本企業を創ります!」と言わなければいけないかのような、ある種の空気感。

あれって一体何なのさ?

自分たちの会社を売却し、また他社の買収を実行した当事者として、一番緊迫するのはバイアウトをアナウンスする瞬間だ。これがトリガーになって内部崩壊を起こさないか、翌日以降もオペレーションが今まで通りに継続するか、いつも気を揉む。契約書にサインをしたら一息つけるのはアドバイザーだけで、本番はむしろ調印を終えてから始まる。そしてこうした一連のプロセスで生じる人間模様の悲喜交々は、得てして金銭的な得失に伴う以上の情緒的な何かに起因している。

企業は続くことが一番なのか?必ずしもそうは思わない。

スタートアップであれば、投資家サイドにとってはバイアウトの方がIPOよりも理論上はバリューが上がる。アントレプレナーにとっても、巨大資本を活用して、本来のミッションをより大きな規模感で実現するチャンスを掴みやすくなるはずだ。

既に社歴を重ねた企業の中には、レームダック化した事例をいくらでも見つけることができる。これらを生き長らえさせ続けることに果たして意味はあるのか?

むしろ不必要に既存の企業を守ることが産業の構造転換を妨げ、競争力を保つ上での足枷となるのではないか?

少なくとも上場企業であれば、会社は同好会であってはならないし、ましてやOBOGの生活を支えるための互助組織ではないはずだ。

永続成長する会社は理想だし、社歴を重ねてなおそうした状態を実現している会社は素晴らしい。

全ての創業者に対して殊更「バイアウトを目指せ」と言うつもりは毛頭ない。

けれど、もう少し会社の多様なあり方が当たり前に受け入れられてもいいんでないの?もうちょっと寛容さがあったっていいんじゃないの?

どれだけ起業の数を増やそうと叫んでも、起業が大ホームランか三振かのハイリスクすぎるゲームであったら、まともなリスク感度の持ち主は参加する気が起こらない。

「志の高さ」を強調しすぎるあまり、挑戦者が出てこないようでは元も子もない。 創業数の増加を本気で掲げるのであれば、天才や狂人だけでは事足りない。

もう少し会社の存在を客観的に捉えるべきだし、センター前ヒット狙いの秀才型起業家がもっと増えたってええんちゃうの?

そんなことを思うケツの青い凡人です。

 
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